ASAメールvol202 2022年7月16日

 




「この街と今年の八王子まつり」HT

待望の八王子まつりは85()6()7()3日間行われる。

ご存じの方も多いかと思うがこの八王子まつりはコロナウイルスの拡大の影響により2020年から昨年までの2年の間、開催することができなかった。しかし今年度は開催されることが決定した。

伝統を引き継ごうとする人、出し物を楽しみにしている人、祭りの雰囲気を楽しむ人…

このまちの人に、今年度の祭の開催はどのように映っているのだろうか。

 八幡町一・二丁目町会長の高橋英治さんは幼いころから多賀神社の祭礼、そして八王子まつりに精力的に参加されている。ずっと昔から伝統的に引き継がれてきた山車、祭りを、そして文化を、このまちに生きた先達がそうしてきたように彼も次の世代に伝えたいという。

 多賀神社から八幡八雲神社までの「上(かみ)地区」と八幡八雲神社から東の「下(しも)地区」の二つの地区の祭礼が1961年に統合し、「八王子まつり」となって今年で62年を迎えた。今回はちょうど60回目の八王子まつりである。節目の祭だが悔しいことに例年の祭よりも小規模に行われるという。それでもこの二年間の中止を経ての開催は文化の継承が叶うというだけでなくこの八王子を大いに元気づけるものになるだろう。

 私が創価大学への進学を機に八王子市に住み始めたのは2020年の9月だった。

現在の大学三年生をはじめとする、2022年以降に八王子に来た人にとっては初めての八王子まつり。まだ見たことのないまつりなのに想像しただけでわくわくしてくるのはどうしてだろう。



「貴重な文化遺産をぜひご覧あれ!」YA

続いて八王子まつりの目玉でもある御神輿や山車についても伺いました。八王子まつりで担がれる御神輿や山車は、上地区・下地区を合わせて19台も出され、国内有数の迫力あるお祭りになっています。御神輿の上には人形が乗せられ、それを乗せた御神輿の大きさは地上から約34階ほどの高さにまでなるそうで、電線などの整備が進んでいなかった昔は、それに引っかからないよう慎重に担ぐなどの苦労したお話も聞くことができました。また、御神輿の上に乗せられる人形もそれぞれ異なり、特に今年のポスターにも大きく写っている諫鼓鳥(かんこどり)の人形は、200年以上前に職人によって作られたものであり、そのような貴重なものが博物館などに展示されずに実際に使われていることに非常に驚きました。それと同時に、古くからの伝統を絶やすことなく、時には修復しつつ継承してきた地域の方々の団結力に圧倒され、近年薄れてきている住民同士のやり取りの大切さを実感しました。

実は私は、今までお祭りに行ったことはあれど、地域の小さなお祭りで御神輿がなかったり、人混みが苦手で大きな催しが始まる前に諦めて帰ってしまうなど、お祭りに対して大好き!という気持ちもなく、御神輿は住民の士気を高めるために担ぐ物、山車は車輪で移動させる手段のための道具というイメージしか持っていませんでした。しかし今回高橋さんのお話を聞き、お祭りというものを開催するにあたってどのような意義や人びとの想いがあるのかを考える機会となり、御神輿や山車に対して日本人として守っていかなければならない大切な文化なのだと自覚しました。

現在は地域の住民同士の繋がりが希薄化していっている一方で、災害が起こった際の自治体や共助というものは非常に重視されています。そのような中で、古くから行われている八王子まつりと貴重な山車や御神輿を継承していく責任感が、現在の住民同士の強い繋がりを形成している鍵となっているのだと感じました。

今回の記事を通して皆さんが御神輿や山車に興味を持ってくださり、貴重な歴史遺産に触れるとともに、それを後世へ伝えたいとする高橋さんを含めた地域の人々の熱意を感じていただければ幸いです。私も今年の八王子まつりは参加し、伝統を継承する一人としてその場に立ち会えたらと思います。


「関東屈指の山車祭り!八王子まつりの歴史を紐解く」YR

今夏、関東屈指の山車祭りとして有名な八王子まつりが3年ぶりに開催されます!今回は、コロナ禍による二度の中止を経て、今年の八王子まつり実施に向けて尽力されてきた八幡町町会長の高橋さんにお話を伺ってきました。インタビューでは、次世代に八王子まつりという文化を継承しようとの高橋さんの熱意が伝わってきました。本記事では、八王子の誇る重要な文化である八王子まつりの歴史を紐解いていきたいと思います。

八王子まつりの前身である八王子市民祭は、1961826日に富士森市民球場にて「3万人の夕涼み」としてスタートしました。八王子に生まれ育った人と新しく住民になった人々の結びつきを深めるとともに自分の住む八王子のことをもっと好きになってもらおう、という願いのもと開催されました。1964年の第4回市民祭から会場が甲州街道に移り、盛大なパレードを行うようになり、市制施行50周年を迎えた1966年の第6回市民祭で初めて12台の山車がパレードに参加しました。そして1968年の第8回市民祭から、八王子まつりに名称が変更されることとなります。2002年には、近世以来の歴史と伝統を継承する八王子の山車・神輿を中心とした祭りに転換し、関東屈指の山車祭りというキャッチフレーズとして市内外から人々が訪れるようになりました。2016年には祭りで行われる民謡流しが、最多人数で踊る盆踊りと浴衣を着た最多人数でギネス世界記録に認定され、2017年には、市制施行100周年を記念して19台の山車が一堂に会する山車総覧の実施と、100年ぶりの南町の一本柱立て人形山車の復元、2020年に日本遺産に認定された「霊気満山 高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」を構成する29の構成文化財の中に八王子まつりが含まれるなどして、現在まで歴史が紡がれてきました。

八王子まつりのメインイベントである山車祭りは、なんと江戸時代から継承されてきました。八幡・八雲神社の祭礼を「下の祭り」、多賀神社の祭礼を「上の祭り」として親しまれ、江戸後期から明治中期にかけては人形山車の祭りとして、明治後期以降昭和前期にかけては下・上合わせて20台の彫刻を全面に施した彫刻山車の祭りとして、関東一円に名声を博していたそうです。昭和二十年戦禍に遭い8台の山車が焼失しましたが、昭和から令和にかけて復元されてきました。現在19町会19台の山車が、毎年甲州街道を舞台にして八王子まつりを盛り上げています。インタビューの中で、お祭りとは神様が旅をすること、というお話が印象的でした。そして山車を使って神様に旅をしてもらうお祭りという文化のために、住民の間にチームワークが生まれるそうです。人々が楽しむものというイメージの強いお祭りですが、その根底にはこのような意義もあると知り、文化としてのお祭りを継承していくことの大切さを学びました。

八王子まつりはコロナ禍によって2年にわたって中止され、今年度も様々な制約や障害がある中で町会の方々の工夫と努力による開催となっています。皆さんも是非、今年の八王子まつりに参加し、八王子の歴史と文化に触れてみてはいかがでしょうか。



 


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