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ASAメールvol.247 2026年5月16日  まちはぐ

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  「何度でも、人ははじまり直せる」M・A その日、私は「心地の良い春の日向」に出会った。 止まっていた時間が、そっとほどけていくような空気だった。 八幡町の「シェアキッチン&シェアスペース まちはぐ」で取材をし、話を聞くうちに、自然とそう感じていた。やわらかな空気は、気づけば心にすっと染み込んでいた。 しなやかで、どんな形にもなじむようなやさしさが、静かに残っていた。 まちはぐは、2022年にマンションの共用スペースから始まった。地域の人々がつながる場所であり、将来お店を持ちたい人が一歩を踏み出す場所でもある。ここには、「やってみたい」という思いを受け止める土台がある。 取材の中で心に残ったのは、ある女性の話だった。認知症と診断され、以前のように動けなくなった自分に戸惑い、深く落ち込んだ時期があったという。 しかし、「DAYS BLG! はちおうじ」と出会い、少しずつ変化が訪れた。仲間やスタッフと関わる中で、本来の自分を取り戻していった。そして、このキッチンで働くうちに、自分の役割を見つけていった。 今では、困っている仲間に自然と声をかけ、現場を支える存在になっている。 さらに、同じような境遇の人がいたら、自分が救われたように寄り添い、好きな飲み物を出して話を聞きたいと語っていた。 誰かに支えられていた人が、やがて自信を取り戻し、今度は誰かを支える側になる。 そのやさしい循環が、この場所には流れているように感じた。 ここでは、「認知症だから何もできない」のではない。認知症であっても、できることがある。その「できること」を大切にすることで、人はもう一度、自分の役割や居場所を見つけることができる。 スタッフの方は、「誰もが自分らしくいられる場所をつくりたい」と語っていた。食事や会話といった何気ない時間の中に、人と人とのつながりが生まれている。 まちはぐには、特別なことはないのかもしれない。けれど、あたたかいご飯や何気ない会話、小さな出会いが、日常を少しだけ特別なものにしてくれる。 そしてこの場所は、「やってみたい」という思いを大切にし、誰もが一歩を踏み出せる場所でもある。 まちはぐは、地域と人をつなぐ場所でもある。小さな関わりが積み重なることで、まちは少しずつやさしくなっていくのだと思う。 取材を終えて帰る時、私は気づいた。まちと仲良くなる方法は、きっと難しく...

ASAメールvol.247 2026年4月16日  100年フード

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  「当たり前だった石狩鍋が、特別だったと気づくまで」  M ・ A 今回は「 100 年続き、 100 年後にも残していきたい料理」というテーマのもと、自分の出身地である北海道の料理について振り返ってみたいと思う。 まず、調べていく中で思い出したのが「石狩鍋」である。 石狩鍋は、その名の通り、サケで有名な北海道・石狩川河口付近にある石狩地方で生まれた郷土料理で、サケやキャベツ、大根、味噌などを使った漁師料理である。 この地域では江戸時代からサケ漁が盛んに行われており、大漁を祝う際、漁師たちは獲れたてのサケのぶつ切りやあらを、味噌汁の入った鍋にそのまま入れて食べていたといわれている。 昭和 20 年代頃になると、石狩市の地引き網漁が「北海道の水産業の象徴」として注目され、多くの観光客が訪れるようになった。その際に振る舞われた石狩鍋が好評を博し、全国的に知られるようになったとされている。 現在では北海道内でも広く親しまれており、寒い冬の定番家庭料理となっている。家庭によって具材はさまざまで、玉ねぎや長ねぎ、しいたけ、豆腐などが加えられることも多い。また、バターを加えてコクを出す食べ方もある。 このように多くの人に愛されている石狩鍋は、北海道の小中学校の給食にも登場する料理である。 しかし今となっては懐かしい思い出だが、当時小学生だった私は、石狩鍋が献立表に載っていても特に喜ぶことはなかった。今思えば贅沢な話だが、日本海側の港町で育った私にとって、サケは特別な食材ではなかったからである。 それは他の子どもたちも同じだったようで、石狩鍋の日に特別な盛り上がりはなかった。しかし、カレーライスやフルーツポンチの日には、それこそ “ 大漁祝い ” のような盛り上がりを見せていた。 その地域では、朝食にサケの塩焼きや照り焼きが出ることも珍しくなかった。だから当時は、その価値に気づくことができなかったのだと思う。 今振り返ると、上京してから「鮭が普通に出る食卓」が当たり前ではなかったことに気づき、少しもったいないことをしていたと感じている。 また、豚丼が北海道・帯広発祥の料理であることや、ミートソーススパゲティの上にカツをのせた「スパカツ」が釧路の料理であることも、今回初めて知った。 もし当時の自分に伝えられるとしたら、「...

ASAメールvol.246 2026年3月17日

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「春休み、家族と私を笑顔にする『京の桜』」  T ・ M 大学の春休みに帰省する新幹線。私の目的地は大阪ですが、降りるのはいつも一駅手前の京都駅です。 私の地元は大阪の北の方にあり、実は新大阪へ行くよりも京都に出る方が近いのです。そのため、春休みと桜の開花時期が重なると、家族で京都へお花見に出かけるのが恒例になっています。 一番の思い出は、やはり鴨川沿いの桜です。川に沿ってずらりと並ぶ桜並木は、どこを切り取っても美しい景色。見上げると、空がピンク色の花びらで埋め尽くされ、まさに「桜のトンネル」です。そんな景色を眺めながら、近くのお弁当屋さんで買ったお弁当を広げ、家族と一緒に外で食べる時間は、どんな高級料理よりもおいしく感じられます。                                                    もう一つ、写真には残せていませんが、心に強く残っている場所があります。八幡にある「背割堤(せわりてい)」です。 以前「京都やわた背割堤さくらまつり」を訪れたとき、会場は屋台で賑わっていました。中でも印象に残っているのは、桜を見上げながらお抹茶をいただいたことです。外で点ててもらった温かいお抹茶を味わった記憶は、今でも鮮明に思い出せる、私にとって大切な思い出です。そこには、目に映る以上の美しさがありました。 皆さんの思い出の桜は、今どこで咲いていますか。もし関西に来る機会がありましたら、ぜひ私の大好きな桜の景色を探しに、京都まで足を伸ばしてみてください。 大阪生まれの私にとって、京都の桜は「帰ってきたんだな」と実感させてくれる、優しくて温かい存在です。 「ASA メールとわたし」Y ・ H お久しぶりです。 YH です。今月号をもちまして、学生ライター部を卒業することになりました。約 2 年という短い期間でしたが、さまざまな経験をさせていただきました。 ライター部としての一番の思い出は、初めて参加した高尾山の取材です。私自身にとっても初めての高尾山であり、これからど...

ASAメールvol.245 2026年2月16日 「私の好きな八王子」

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  「滝山城跡を訪れて気づいたこと」  F ・ K 昨年の春、「戦国時代の名城 滝山城入口」という看板を見つけました。気分転換がしたかったことと、城とはどんな場所なのだろうという好奇心から、行ってみようと決めました。のんびりと草を食む白ヤギの横を通り過ぎると、竹が生い茂る自然のトンネルのような道が現れました。ジブリの世界のような雰囲気にワクワクしながら足を進めると、すぐに後悔しました。とにかく坂がきついのです。「城」とある通り、お殿様が住む場所なのだから、簡単に入らせてくれるわけではないのだと身をもって感じました。その日は晴れていて風も強く、足元がぐらついて道脇にある堀に落ちたらどうしようと、ビクビクしながら登りました。 坂を登りきると、「千畳敷」という開けた場所に出ました。木々に囲まれた芝生の空間で、春に訪れたからか、タンポポがたくさん咲いており、街と切り離された静かな場所のように感じました。千畳敷を過ぎ、ようやく中の丸にたどり着くと、そこは千畳敷よりもさらに開けた場所で、桜の木々が並び、落ちた花びらが絨毯のように広がっていて、まさに「春」といった雰囲気でした。そして何より、中の丸から見える街の景色は圧巻でした。 私はそれまで、大学と家を往復するだけで一日が終わる生活を送っていました。しかし、この景色を見て、八王子はこんなにも大きく、広い街だったのだと実感しました。かつてここを治めた北条氏照も、同じようにこの景色を眺めていたはずです。そしてこの場所で、八王子の未来や人々の暮らしへの責任を背負っていたのだと思います。それに対して私は、就職活動や人間関係の悩みから少し離れたくて、ここを訪れていました。殿様と自分との立場の違いに面白さを感じる一方で、考える規模の違いに切なさも覚えました。 慣れない坂を登ったせいで筋肉痛にはなりましたが、今度もう一度、この景色を見に行こうと思います。大学と家の往復で狭くなっていた自分の視野を、広げてくれる場所に出会うことができたからです。ぜひ、桜の咲く春の時期に訪れてみてください。入口では、きっとあのヤギが出迎えてくれるはずです。 学生の街・八王子を支える一杯』  H ・ S  西東京バス「中野市民センター」近く、工学院大学に沿ってかすみ学園通りを下ると、ひときわ目を引く黄色い看板が現れます。夕方の食事時に...

ASAメールvol.244 2026年1月16日 「八王子と福祉のまちづくり」出版記念トークイベント

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  「まちに関わるということ〜イベント参加からの気づき」  M ・ A 大学 2 年生の私は、西川先生にお声がけいただき、八王子市中心市街地で行われたイベントに参加させていただきました。 参加前は、地域福祉やまちづくり、地域連携といった言葉の意味自体は理解していましたが、実際にどのような人たちが、どのような関係性を築きながら活動しているのかを具体的に想像できていませんでした。しかし、本を読み、イベントでの発表を聞き、地域の方々の話に触れていく中で、その印象は大きく変わりました。 七夕飾りでは、多言語短冊を通して、年齢や国籍といった枠を超え、それぞれ異なる背景を持つ人々が同じ空間に集い、和やかな雰囲気の中で一体感を生み出していることが分かりました。願い事の多くは、健康や家族、日々の安心を願う素朴で微笑ましいものだったといいます。こうした日常の中にある声や存在に気づく力こそが、今後の自分にとって大切であり、地域とつながるために欠かせないと、この体験を通して実感しました。 また、紹介された「桑の日」イベントでは、八王子の養蚕や絹産業の歴史が、健康やウェルビーイングという現代的なテーマと結びつけられていました。地域の歴史的出来事が現在の地域課題と結びついて、そこから新たな価値を生み出している点は、第 6 章で語られる「ヒストリカル・ブランディング」の具体例であると感じました。 さらに印象的だったのは、大学、企業、地域住民、福祉作業所、学生といった多様な人々が、一つの目的のもとで継続的に関わり続けてきた点です。経済的価値だけでなく、地域のつながりや参加する人の自己有用感を重視する姿勢は、「ソーシャルパーパスによる共通価値創出」という考え方そのものだと理解できました。 西川先生の著作『八王子の福祉とまちづくり』は、こうした実践を理論的に整理し、「地域 × 福祉 × 大学」がどのように社会的価値を創出しているのかを丁寧に示しています。イベントへの参加を通して、自分自身がこれから地域とどのように関わっていくのか、そのイメージが現実の風景として立ち上がってきました。地域との関わりを考えたい人に、ぜひ読んでほしい一冊です。 『地域とつながる』  I.R 今回のトークイベントは、私が所属しているゼミ、西川ハンナ先生が書かれた本の出版を記念して行われました...

ASAメールvol.243 2025年12月16日 朝日小学生新聞 横川小学校

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    「新聞で引き出す子どもたちの可能性」 FK 今年も残りわずかとなりましたが、年が明ける前に嬉しいニュースが届きました。 八王子の横川小学校が、子どもたちの写真とともに朝日小学生新聞で紹介されたのです。 今回は幸運にも、副校長先生にインタビューする貴重な機会をいただき、「よみとりービクトリー」についてお話を伺いました。 副校長先生は「子どもたちが自分からやりたいと思える活動にしたい」という思いがあり、当初は子どもたちの反応を少し心配していたそうです。ところが、予想に反して子どもたちはとても前向きで、その反応に驚かされたといいます。 そうした子どもたちの「もしかして成長しているかも」という気づきを引き出せたことが、何より良かったと副校長先生は語っていました。 さらに、「まずはやってみよう!」というチャレンジ精神を大切にする校長先生もおり、そうした先生方の姿勢のもと、子どもたちが自主性を育み、語彙力を鍛えながら自分の可能性を広げていく機会が数多くある学校だと感じました。 改めて、横川小学校の取り組みは、子どもたちにそのきっかけを提供しており、とても有益な環境づくりに繋がっていると感じました。 新聞には、子どもたちが真剣な表情で何かを書いている様子が大きく掲載されていました。 「よみとりービクトリー」とは、プロが書いた良い文章を読み、まねて書いたり、印象的な表現を抜き出したりして、語彙力を高める活動です。 新聞を「読む」、自分で考えて「書く」という活動を続ける中で、「前より早く書けるようになった」「文章が上手になった気がする」と、自分の成長に気づく子も出てきました。 お話を伺いながら、副校長先生が子どもたちの気持ちに寄り添い、成長を親のように喜ぶあたたかさを強く感じました。 やってみて初めて分かることはたくさんありますが、何より “ 触れる機会 ” がなければ気づくこともできません。 朝日小学生新聞に横川小! “ うれしい ” がいっぱいの 6 年生インタビュー ( 6 年生 K.Y さん・ K.E さん)   12 月 8 日付の朝日小学生新聞に、横川小学校が大きく紹介されました。 全国の小学生が読む新聞に自分の学校が載るのは、とても特別なこと。 6 年生の K.Y さん・ K.E さんに、当日...

ASAメールvol.242 2025年11月16日 Dr.肥沼信次

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『遠い時代から届いた「人を思うこと」』 T.M  「もし自分があの状況だったら、同じことができただろうか。」 Dr.肥沼次のお話を聞いて、最初に浮かんだのがこの言葉でした。 八王子出身のDr.肥沼は、戦時中、ドイツで発疹チフスの治療にあたり、最後まで現地の人々を助け続けたお医者さんです。戦手によって日本と連絡が取れなくなっても、自分のことより人の命を優先し、命を懸けて治療を続けたといいます。今回は「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」代表の塚本さんに、お話を伺いました。 私は最初、「八王子にこんなすごい人がいたなんて!」と驚きました。正直、それまではDr.肥の名前も知りませんでした。でも話を聞くうちに、歴史上の“偉人”というより、同じ人間として尊敬できる生き方だと感じました。人を助けることにまっすぐで、どんな状況でもその気持ちを貫いた姿勢が、本当にかつこいいと思いました。 今の私たちは、スマホひとつで世界中の人とつながることができます。Dr.肥沼の生きた時代は戦争によって祖国との連絡が途絶え、情報を届けることも受け取ることもできなかったそうです。そのお話を聞いて、現代に生きる私たちが「つながる」ことのありがたさを改めて感じました。誰かと話せること、想いを伝えられることは、決して当たり前ではないのだと気づきました。 塚本さんが語ってくださった「いつか桜の下で、ドイツ人と日本人が一緒にお花見をしたい」という夢も、とても印象的でした。国や文化が違っても、人を思う気持ちは同じ。そんな温かい交流が生まれたら、きっと肥沼さんも喜ぶだろうなと思います。 戦争は人と人との心を分けてしまうものですが、Dr.肥沼の生き方はその逆でした。思いやりの心があれば、国も時代も超えて人はつながれる。そう考えると、平和というのは大きなことではなく、日常の中の小さな優しさの積み重ねなのかもしれません。 インタビューの最後に、塚本さんが「Dr.肥沼のように、自分を顧みずに誰かのために動ける人になってほしい」と話してくださった言葉が、とても心に残っています。 「今の自分には、何ができるだろうか」 この問いを胸に、私も身近なところから誰かを思いやる行動をしていきたい。Dr.肥沼の生き方を知った今、少しでも誰かの力になれる自分でありたいと強く思います。