ASAメール vol.186 2021年3月16日

 震災から10年経って


毎年3月発行のASAメールでは、福島県出身のスタッフも居ることから、東日本大震災にまつわる内容を掲載しています。

今回ご縁があり、創価大学准教授・西川先生のご紹介で、宮城県石巻市出身の学生・村田さんに原稿を依頼してみようということになりました。そもそも西川先生とは、ASAメールの特派員“学生ライター”を募集したいとお話をしていたのです。

村田さんは快く引き受けてくださり、原稿と一緒に現在の宮城県石巻市の写真を添えて送ってくれました。

直接お話をする機会も頂き、壮絶な津波体験を聞くことになったのです。

私自身、あの津波を経験したという方とお話したのは初めてでした。

 

創価大学文学部の村田さんは、当時小学5年生の11歳。

授業中にあの地震は起きた。友達のお母さんが学校に迎えに来てくれたので自宅まで送り届けてもらい家族と合流しする。

今度は自宅の車で避難しようということのなり自家用車に乗り込んだ。車の中で「あなたは、ここで待っていなさい!」と言われ、皆は身体が不自由だった曾祖母を部屋まで迎えに行った。当時小学生だった私がいたのでは、逆に足手まといになるのだろうと思った。

その時、津波が襲ってきた。

一瞬で車が浮き、流された。車の中に1人取り残された。不安が襲ってくる。どうなってしまうのだろう。瓦礫が次々と車にぶつかってくる。どれくらい流されただろう。

次第に車のフロント部分が沈みだした。必死で後部座席側に登っていく。突然大きな音と共に、車が止まった。その衝撃で窓ガラスが割れ、その破片が飛んでくる。外への出口が出来た。そこから導かれるように外へ出て、車のボディーに乗った。

家屋のベランダ部分に引っかかるような形で車が止まったのだ。轟音の中から「ベランダへ飛び移れ!早く!早く!」という男の人の声に促され、ベランダに飛んだ。

誰の家かも知らない、その二階部分で助けを待つしかなかった。

外は雪が降っていた。

一度救助隊のお兄さんたちが近くに来たのだが、波が高くて危険なため救助できない。「明日の朝一番で来るから、それまで頑張れ!」

凍てつく寒さの中を、一人で耐えなければならなかった。

近くで同じように取り残された人が夜通し「おねえちゃ~ん!大丈夫か~!頑張れ~!」と声をかけてくれた。

そして翌朝、約束通り救助隊が助けに来た。

 

中学生からは元の小学生時代のお友達とも同じ学校に通えるようになった。

学校の先生方にも大変お世話になった。カウンセラーの先生にも沢山勇気づけられた。母親が福祉の仕事をしていたので、ボランティア活動にはいつも付いて行ってお手伝いをした。ボランティアをすることで感謝され、自分の存在意義を見つけた。人は一人では生きていけないと強く思うようになった。

これまでの経験があるからこそ、辛い環境の人たちの心を理解して支援していきたいと思うようになり、福祉の道を進もうと決めた。

いまは、社会福祉士になるため勉強中だ。

 

 

村田さんから依頼していた原稿がメールで届いた。


                              石巻市の日和山公園から見た朝日



震災から10年。私は十年も経ったことが信じられない程、あっという間に感じています。

私は大学進学のため、地元の宮城県石巻市から八王子市に引っ越してきました。

最初の頃は、慣れない場所に行くことへの不安がありましたが、八王子の方々はとても温かく、現在は楽しく過ごしています。

 

私は10年前の震災で祖母・友人を亡くしました。私自身も津波に遭い、命を失うかもしれないという恐怖を経験しました。そして私が住んでいた家も全壊し、小学校生活最後の一年も転校することになり、何もかもがからっぽになり毎日が不安でいっぱいでした。

そんな中、沢山の方々が私を励ましてくださり、自分は一人ではないことに気付き、少しずつ前向きになりました。

 

震災を経験し、私は将来地元で、困難な状況で苦しむ人の支えになりたいという夢を持っています。10年が経っても当時を思い出すと辛くなる時もありますが、多くの人に支えてもらった感謝をこれから届けていきます。

 

村田奈央子


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